2025年1月11日の熊本セミナーによせて
□文科省委託事業 現職日本語教師研修プログラム普及事業
■主催:インターカルト日本語学校
■題目:地域日本語教育の可能性を切り拓く
■内容:【講演1】 地域日本語教育と言語教育政策
/ 神吉宇一(武蔵野大学)
【講演2】 福岡県における地域日本語教室の展開とその意義
/ 深江新太郎(NPO多文化共生プロジェクト)
【意見交換】地域日本語教室の意義をどうことばにする?
ファシリテーター
/ 高柳香代(TADECO,宮崎県国際交流協会)
■日時:2025年1月11日(土)14時~16時30分
■場所:熊本森都心プラザ(JR熊本駅,徒歩3分)
■詳細:https://chiikinihongo.net/index.php/2024/11/07/kumamoto/
■共催:NPO多文化共生プロジェクト
深江さんは、どのような社会をめざしているのですか?
2024年11月17日、登録日本語教員の国家試験が初めて行われている最中、ぼくは兵庫県姫路市で開催された日本語教育学会の秋季大会で口頭発表を行っていました。発表を終えて、姫路駅近くのKENSINGTON(ケンシントン)という純喫茶に入り、ベイクドチーズケーキとコーヒーを注文してから、ぼくは何度もため息をつきました。なぜか。それは次の質問に答えられなかったからです。
「深江さんは、どんな社会をめざし実践と研究を行っているのですか?」
今回の発表は、地方公共団体が行っている地域日本語教育施策を整理することを目的としたものでした。ぼくは福岡県内の地方公共団体の地域日本語教育施策に携わっていますが、中でもモデル地域である3市町の取り組みについて整理しました。ただ、地方公共団体がどのような課題を立て、どのような社会をめざしているのかについて考えることに慣れきっていたぼくは、ぼく自身がどのような社会をめざしているかについては、どこか遠くに置くようになっていたのです。
外国人もその人らしく暮らせる社会
2021年3月にアルクから出版した『生活者としての外国人向け 私らしく暮らすための日本語ワークブック』の「はじめに」には次の通り記されています。
「日本で、日本人が一人の人として幸せに暮らしていくことと同じように、外国人も日本人と同じように一人の人として幸せに暮らしていくことを、私は多文化の共生と考えます」
(『生活者としての外国人向け 私らしく暮らすための日本語ワークブック』p.3)
このことばは、ぼくたちの団体の副代表から受け取ったことばです。ここにはぼくたちがめざす社会がことばにされています。その社会に近づくために、一人一人が日常生活の小さな望みを実現することを大切にした教材をつくって活動していたのですが、地方公共団体の施策を具体化することに集中するあまり、ぼく自身のミッションを少し見失っていました。サイフォンで入れてくれたコーヒーを前に、何度もため息をついていたからか、隣の席からのいぶかしげな視線がささり、ぼくは気を取り直し、1月の熊本セミナーのことを考えました。
地域日本語教育の可能性が切り拓かれるためには
2025年1月11日に開催される熊本での対面セミナー「地域日本語教育の可能性を切り拓く」。このタイトルは2023年1月に福岡県主催のセミナーと同じものです。この福岡県主催のときは、福岡県内のモデルとなる3市町の取り組みが日本語教室の可能性を切り拓いていくという内容でした。では今回、なぜまた同じタイトルなのか。現在、地域日本語教育は、国の政策、地方公共団体の施策として位置づけられていますが、でもやっぱり、その活動をつくっているのは、その地域の住民であり、新たに加わるようになった日本語教師です。だから、地域日本語教育の可能性が切り拓かれるためには、国や地方公共団体のビジョンだけでなく、そこに携わる人たちの純粋な思い、「あなたはどのような社会であったらいいですか」がことばにされる必要があります。そして、その社会をつくるためには、きっと地域日本語教室が必要となるでしょう。今回の熊本セミナーは、国がめざしている社会、地方公共団体がめざしている社会、そして私たちがめざしている社会にとって、地域日本語教室がどのような意義を持つのか考えます。